終戦日と猫

こんにちは。

8月8日に亡くなられた翁長沖縄知事のご冥福をお祈り申し上げます。

病状が悪化し、かなりお痩せになられてからも、あの強い、筋の通ったまなざしが変わることはありませんでした。命ある限り闘うってこういうことなのでしょうか。最後まで沖縄を愛し、沖縄のために尽力された翁長知事の魂が安らかでありますように。

8月15日がきて、今年も終戦日を迎えました。

8月に入ると、新聞の読者コーナーには戦争体験の投稿が多く寄せられ、特集なども組まれたりしますね。年月とともに戦争経験者が少なくなってきた今日、かれらが語る生の声がよりいっそう貴重なものとなってきました。

私の家は新聞購読辞めてしまったんですが、十数年前の新聞とってた頃のことです。何年前のどの日だったのか、中日新聞だったのか朝日新聞のどっちだったのかも定かでなくてすみません。

「終戦の思い出」のコーナーがあり、読者の戦争体験談がたくさん投稿されていました。その中で、沖縄の女性の方の一通の投稿に目が留まり、それから10数年、毎年終戦の日が近づくと、その方の投稿を思い出すんです。

シンプルで飾り気のない短い投稿でした。

不完全ながら記憶をたどってその投稿を再現すると、

 

終戦を迎えたものの、混乱がおさまらぬ沖縄での暮らしの中で、ある日1匹の猫が我が家に迷い込んできた。

悲惨な暮らしだったけど、食うや食わずはお互いさま、うちでよかったらと家に迎え入れた。その猫はうちで暮らし始めた。

それから何か月もたったある日、その猫は突然姿を消した。近所を探し回ったが見つかることはなかった。

落胆しながら家に戻ると、土間の上がったところに紙に包まれた牛肉の塊が置かれていた。

「あの子だ。」

すぐ近くの米軍基地からどうやって盗み、運んできたのであろうか。

短い間だったけれど寝食を与えてもらったことへのお礼だったのだろうか。

あの子はどこへ行ったのだろうか。毎年、終戦の日が近づくとあの子のことを思い出す。

 

終戦間もない沖縄での、人と猫の小さな、温かくも切ないエピソードでした。

人間ですら食うや食わずの、生き抜くことさえ困難な終戦直後の沖縄の生活の中で、ふらっと迷い込んできた見知らぬ猫を受け入れたこの女性の懐の深さ、そして自らを受け入れてくれた女性と家族への精一杯のお礼を置いて消えてしまった猫の去り際の見事さ、美しさ。

毎年8月になると思い出す、会ったこともない人と猫の小さなエピソードを私は来年も再来年も8月が来たら思い出すことでしょう。

この女性は今もご健在でしょうか。もしそうならお会いしてお話ししたいと思いますが、それもかないません。記名されていたお名前も、新聞は中日だったか朝日だったか、何年何月何日の記事だったのかも今はわかりません。切り抜きをしなかったことを後悔するよりほかありません。

だけど確かなことは、名古屋からずっと離れた沖縄での、猫好きでなければ気にも留めなかったであろう小さなエピソードを、私はこれからもずっと忘れないであろう、ということです。

人も、猫も、他の動物も、どの生物も自然も、いつも通りの生活がこれからも続きますように。